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by HigashiyamaChurch
| 2015-05-11 14:14
「(マグダラのマリアは)シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた」(ヨハネ20:2)
イエスの弟子たちの復活体験は、イエスに対する彼ら自身の背きによって生じた「壊れ」の回復、「平和(シャローム)」の体験から始まる。しかしながら、復活体験とは、それにとどまるものではない。弟子たちには復活体験を他の人々に告げ知らせる使命が与えられる。主の死と復活を告げ知らせることこそが、弟子たちの宣教の核であった。 きょうの福音の中で、空の墓を見たマグダラのマリアは、弟子たちのところへ「走って行って」告げる。この知らせを聞いたペトロともう一人の弟子(ヨハネ)も墓まで「一緒に走っ」た。主の復活を告げ知らせる者とは「よき知らせ(福音)」を走って知らせる伝令なのである(イザ40:9参照)。 その最も偉大な伝令は使徒パウロである。彼は自分自身の姿を競技場で走る選手として語る。しかも無駄に走るのではなく、賞を得るようによく走ることに自らも努め、また人にも勧める(1コリ9:24,26、ガラ2:2; 5:7、フィリ2:16)。しかし、それは自らの名誉のためではなく、「主の言葉が…‘速やかに宣べ伝えられる’」(2テサ3:1)ためである。これは直訳すると「主の言葉が…‘走る’」となる。つまり、パウロによれば、主の言葉を告げ知らせる人は主の言葉と一体なのである。ここに福音宣教の基本を見る。 #
by HigashiyamaChurch
| 2015-04-05 06:00
「それは、あなたが言っていることです」(マルコ15:2)
マルコ福音書の「受難物語」の特徴は、イエスの沈黙である。ピラトやローマ兵たちは、イエスのことを「ユダヤ人の王」と繰り返し呼ぶ(2,9,12,18,26節)。当時、ユダヤはローマ帝国の支配下にあり、王は存在しなかった。ローマ人が考える王とは、政治的な力と権威を持つ者のことであり、それがユダヤ人の王ということになれば、当然ローマに対する反逆者を意味した。彼らにとっては、イエスが政治的な危険人物であるかどうかだけが関心事だった。 一方、ユダヤ人たちは、十字架上のイエスを「メシア、イスラエルの王」と呼ぶ。神の民としてのイスラエルは、長年、いろいろな国の支配下に置かれてきた。こうした状況にあっ て、ユダヤ人たちは、彼らの王国を復興するダビデの血を引く者、すなわち「メシア」を待望していた。 このように考えるなら、「王」と「メシア」という呼称には、ローマ人、ユダヤ人それぞれの価値観が象徴的に表されていると言える。ところが、彼らの前に現れたイエスは、ローマ人が考える「王」でもなく、ユダヤ人が待望する「メシア」でもなかった。そこで彼らはイエスを侮辱して、「王」、「メシア」という言葉を投げつけた。 これに対して、イエスはただ一言、「それは、あなたが言っていることです」と答え る(2節)。イエスはこれ以外何も語らず、終始沈黙を続ける。このイエスの沈黙は、神への絶対的な信頼をどんな言葉よりも力強く示す。詩編62編の詩人は、苦難にあって、「わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう」と信仰告白する(2節)。イエスはゲッセマネで、これから直面する受難の意味を神に何度も問うたかもしれない。だが、受難のとき、神は沈黙を守る。今やイエスは、この神の沈黙のなかに自分の全存在の沈黙をもって入り込もうとしているかのようだ。 イエスの最後の言葉は、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」である(34節)。これは詩編22編の冒頭の言葉だ。22編全体から考えるなら、この言葉は最終的には神への信頼に向かう。それはただ神への信頼を表すだけではなく、イエスがどのような意味で王なのかをも表す。それは私たちに福音宣教のあり方を教える、イエスの最後のメッセージでもある。 #
by HigashiyamaChurch
| 2015-03-29 06:41
「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(ヨハネ12:24)
今日の福音は、「イエスにお目にかかりたい」と願うギリシア人に対するイエスの答えが中心になっている。ところで、イエスは迫りつつあるご自分の受難について語るだけで、ギリシア人たちの願いを無視してしまったのだろうか。この願いに対する直接的な答えは最後のほうではっきり示される。 「わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとに引き寄せよう。」(32節) イエスが「地上から上げられるとき」とは、「十字架に上げられるとき」であり、それはヨハネ福音書においては同時に「天に上げられるとき」でもある。すなわち、イエスの死は同時に栄光の時でもあるのだ。すべての人が真にイエスと出会うことができるのは、まさにこの「時」である、とイエスは語る。イエスはご自分の受難の意味を説き明かすことによっ て、イエスに会うことを求めるギリシア人たちの願いに答えているのだ。 「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(24節) 死んで豊かな実を結んだイエスと深く結ばれることによって、イエスに従う人々も実を結ぶことができるようになる、とヨハネは語る。しかしながら「実」とは、決して人が自分の力で生み出す「生産物」ではない。「実」とは、生命の自然な成長によってもたらされるものなのだ。「実」を結ぶ力は人間に由来するものではなく、人間の思い通りにはできない。単に業績を上げるということなら、人間の力だけで可能かもしれない。だが、神が望んでいる「福音の実」を育てるためには、人間はイエスの死によって神に結ばれたことをまず認めなければならない。命の源である神と結ばれているなら、そこから生きる力が流れ出て、信じる力が与えられる。この力が「実」を育ててくれる。だから、私たちは「実」の成長をあれこれと思い煩うことなく、全力を出して生きることができるようになる。 キリストの体に結ばれ、キリストの霊に動かされ、キリストと共に生きる恵みに与かった人は、「あたかもひとりでに」実を結ぶようになるという。収穫は必ず与えられ、その実は残って永遠の命を与える(ヨハ4:36; 15:16)。 「実」はあくまでも恵みとして与えられるものなのだ。「実」という結果をあれこれと思い煩うことなく、必ず「実」を育ててくださる主に信頼して、全力で主について行こう。 #
by HigashiyamaChurch
| 2015-03-22 06:00
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ3:16)
今日の福音は、この世に向けられた神の愛を語る。神は人を永遠の命へと招こうと独り子を世にお与えになった。独り子イエスは、ことばと業で神の心を人々に知らせようとされたが、それでは足らず、自ら十字架に上がり、神の愛を人々に示された。したがって、「独り子を与えた」とは、受肉だけを意味するのではなく、十字架の死をも指している。 ところでヨハネは「世」をどのように捉えているのだろう。ヨハネ福音書には、今日の福音に見られるような、神の愛の対象としての「世」とは相反する否定的な意味での「この世」とか、神に敵対する「世」という表現が後半部分に数多く見られる。それではヨハネは「世」を、被造物としての「世」と神に敵対する「世」、あるいはイエスを信じる「世」の一部とイエスを否定する「世」というように二重に捉えているのだろうか。今日の福音における、神の愛の対象としての「世」とは、イエスを拒否する以前の「世」なのだろうか。 こうした二元論的な理解は、決してヨハネの主張するところではない。ヨハネにとって「世」とは神の被造物であり、救いの啓示の舞台であると同時に、その救いの啓示および愛の対象なのだ。しかし、「世」はイエスを拒否することにおいて世の頭につき、その支配下に自らを置くことになる。このような「世」の動きに対して、イエスが栄光に上げられることが御父の栄光を輝かせ、それによって世の頭は裁きを受け、その力は失われる。つまり、神の栄光の働きの度ごとに、「世」は救いの対象とされると言える。このことは、神の愛が常に「世」を救いの対象として働いていることに他ならない。したがって、神は常に「世」を愛し、救おうとなさり、その度に「世」の拒絶が生じるが、究極的には、神はそのような神を拒絶する「世」をも愛の対象とされる。 それでは、このような「世」に対する神の愛と、御父とイエス、イエスと弟子たち、そして弟子たち相互の愛はどのような関係にあるのだろう。ヨハネにとって「愛」の源は、御父と御子の間の愛なのだ。そうであるなら、神の「世」に対する愛は、御父と御子の間の愛に基づいていると言える。言い換えれば、神の「世」に対する愛は、御父と御子の間の愛の現れなのだ。そして、私たち相互の愛は、このような神の愛に参与するものであり、私たちの間に愛が現される度ごとに、「世」は神の愛によって変えられていくのである。 「世」の救いとは、私たちの日常生活と無関係なところで実現されるのではない。私たちがそれぞれの生活の場で愛を現していくことによって、「世」が変えられていくのだ。 #
by HigashiyamaChurch
| 2015-03-15 06:00
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